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「こういう時代だと思う、一つの在り方」

2016年10月21日

「こういう時代だと思う、一つの在り方」
2011年、岬人さんからお誘いいただいた「地域教育実践交流集会」の冒頭のあいさつ文です。
以下、抜粋
子どもたちに「かきくけこ」体験を
地域教育実践交流集会 
実行委員長 讃岐 幸治
これまで経験したこともない、       大震災が起こった。東日本大震災は、人も物も一瞬のうちに押し流し、田畑も塩水で浸し、放射能で汚染してしまった。生きのびた人たちも着の身着のままで、家財道具もクルマも流され、なにもない
まちは、跡形もなく、残るは瓦礫の山のみだ。
夏草や 生き残るとは 生きること。
蝸牛 瓦礫の山を 這い登る。
被災地の高校生が、どう生きるか、どう復興に立ち向かっていくか、をよんだ句である。他方、ある被災地では、こんな川柳がつくられていた。
震災で 改めて知る 地域の輪
この大震災をきっかけに、生きるとはどういうことか、幸せとはなにか。被災地の人たちだけでなく、これまでの生き方を見直した人が多かったのではないか。
 エリッヒ・フロムに『生きるということ』という名著がある。そのなかで彼は、人間が生きるうえでの基本的な生活様式に「持つ様式 to have」と「在る様式 to be」とがあり、「もはや『持つこと』よりも『在ること』を重視する時代に移ってきている」と。 これまでは「持つこと」を人生の目的として、「財産」「社会的地位」「学歴」「権力」などの所有をめざしてきた。より高い学歴、より多くの財産、より高い社会的地位、より大きな権力などをめざす生き方を重視してきた。 だが、こうした「持つため」の生き方では、こころの休まる間もなく、いつも戦々恐々とした日々を送っていかざるをえない。人間がより人間らしく生きていくためには、「持つこと」に執着すべきではない。衣類をどれだけ数多く持っているかではなく、自分なりに、いかにうまく着こなすか、その方が大事ではないか。より多く持つよりも個性的でありたい、あるがままの自分でありたい、心豊かに生きたい、そんな「在るため」の生き方を重視すべきではないか。
 いまや人々は「在るため」の生き方、つまり「成長すること、あふれ出ること、愛すること、孤立しないこと、関心を持つこと、与えること、経験を分かち合うこと、
社会的に有用な変化をつくること、自分自身を経験し、何かを生み出す過程」を重視した生き方を求めはじめている。限られた自己の能力を最大限に生かし、生きることの喜びを確認する生き方を求めはじめているのである。
 これからの激動の社会を主体的に生き抜き、心豊かに人間らしく生きていくためには、子どものときから、つぎのような「在るため」の生き方、経験をしっかりやっていくことである。
 先ず第一に挙げたいのは、この世に生まれてきた甲斐があった、生きていてよかった、そうした生きる喜び・充実感が生まれてくるような体験、生きようとする熱気・情熱が湧き出るような感動体験、感謝したくなるような体験をさせることである。
 これからの海図なき航路の時代にあっては、何が起こってもおかしくない。わが身は自ら守るすべを身につけなければならない。危機管理能力、危機回避能力を身につけるためには、危険な場面で緊張感をもって取り組まざるをえない体験をすることだ。
 ところで子どものときに苦労した経験がある者は、そうでない者よりも、大人になって、難題に直面してもより耐えられ、乗り切れるという。「苦労の免疫理論」である。子どものときに、苦労体験、自ら工夫せざるを得ない体験をさせておくことである。
 これからはだれかが決めた路線の上を動く時代ではない。自ら企画立案し、段取りをつけ、仕切っていく力がいる。自らの構想のもと自ら計画を立て、自ら決定・決断していく力を身につけることが大事だ。
 最後に交流、貢献力をあげておこう。これからの社会は交流、協働、連携、共生の時代である。異質のものとの交流・協働できる力、さらに社会の担い手として他者や社会のために貢献する喜びや力を身につけていくことが大事になっている。
 これからの激動の社会を生きがいをもって、また生き抜いていくためには、子どものときから感動・感謝、緊張・危険、苦労・工夫、計画・決断、交流・貢献、いわゆる「かきくけこ」力を身につける体験を多くしていくことである。
『持つこと』よりも『在ること』を重視する時代に移ってきている」
いまや人々は「在るため」の生き方、つまり「成長すること、あふれ出ること、愛すること、孤立しないこと、関心を持つこと、与えること、経験を分かち合うこと、
社会的に有用な変化をつくること、自分自身を経験し、何かを生み出す過程」を重視した生き方を求めはじめている。限られた自己の能力を最大限に生かし、生きることの喜びを確認する生き方を求めはじめているのである。
自分が求めているそのものでした。これからの子供達には
そんな体験を多くすることが、生き方を学ぶということでしょうか。