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「三崎高校スピーチコンテスト」

2018年1月17日

三崎高校スピーチコンテストに生徒会のみなさんの発案だろうか?
卒業生として三代目と津田先生がゲストスピーカーとして発表させていただいた。

津田先生、三崎高校13年目とあって、「35にして天命を知る、天命とは三崎高校の存続である」という言葉にグッときた❣️

各学年を代表して5人のみなさんが、スピーチをし、三代目もメモを取りながら聞かせていただいた。
1年生は1年生なりの悩みや葛藤あり、喜びあり、2年生、3年生と親に仲間に先生に感謝と、感謝の言葉が印象的だった。

最優秀の生徒のスピーチは表現、構成、みなに投げかける経験からの熱い言葉を感じたし、「本当の自分をさらけだせる本当の友達」「友達に頼る」という言葉、三代目に深く刺さりました。

みんな、価値観は多様だけど、みんな素敵な出会いや学びをしてるんだなあと嬉しかったですね。

昨日、こっそり練習してたら、息子に「何しよるん?」
と聞かれ
「お父さん、明日、三崎高校で発表やから練習しよるんよ」
と言うと
「じゃあ、しゃべってみて」
と息子。あんたはどこの監督じゃい(笑)と思いながら、照れくさくて、「また、今度ね」とかわしたのだが、自分の備忘録も兼ねて、誰かの役に立てばと思いますから、記しておきます。

「三崎高校と私 ~志の種の原点~」

田村義孝

三崎高校と私の関わりというと24年になる。三崎高校に入学する当時の私を振り返ってみると入学前、私は運動も勉強もからきしダメな生徒だった。それを不安に思った父は、なんと、三崎高校に落ちたら八幡浜の菓子屋に修業に入るよう頼んでいた。おかげさまで試験に合格、入学前に、進学クラスと就職クラスの2つのどちらかに希望を出さねばならなかった。私は無謀にも進学クラスを希望し、希望がかない、高校生活をスタートした。初めての学内中間テスト36人中33番。勉強は対してできず、運動音痴の私に学校は苦痛でしかなかった。ただ、2つだけ楽しいものがあった。歴史の授業と持久走だ。この2つだけは唯一、自分が輝ける時だった。そんな私にとって憩いの場所と言えば図書室だった。私の記憶が正しければ高1のころ、アニメ「おーい竜馬」が始まり、かぶりつくように毎週、見ていた。「おーい竜馬」の竜馬の幼少期は勉学は塾の先生に見放され、剣術でも目が出ず泣き虫だった。そんな竜馬と自分を重ねたのかもしれない。

その夏だったと思う、図書室で高知の商工会議所の青年たちが10億の寄付を集め龍馬記念館を作り、高知県に寄贈したという記事を見つけた。衝撃が走った!高知には、がいな人らがおるんやのー。居ても立っても居られず、夏休みは高知の龍馬記念館へ連れて行ってほしいと親に頼んだ記憶がある。この時、いずれ家業を継ぐとしか思ってなかった自分に、自分が食べていくだけなら職人でいいが、地域に社会に貢献できるように経営者になろう、そのために、大学へ行って経営の勉強をしたいと思うようになった。目標ができると不思議なもので、3年生の頃には中間テストでクラスで1番になることもあった。

余談ではあるが、3年前、ちょうど「みっちゃん大福」にとりくんでいた頃、この運動の中心人物、全国龍馬社中の橋本会長と10年ぶりに再会をした。そこで紹介されたこの本によると、高知の桂浜には明治生まれの青年たちが寄付を集め作った龍馬像がある。だが、銅像だけでは龍馬を顕彰するのには十分ではない。龍馬の魂がいつも宿って、志ある者、あるいは道半ばで迷っている者たちが、龍馬と対話できるような場所を作ることが、龍馬の精神を後世に伝えていくことになるのではないか、私はそう考えたと記してあった。

まさに、私にとってこの場所は、橋本会長が意図したとおりの場所となり、悩み迷ったとき、この場所を訪れるようになったのである。

時は移り高校卒業を迎えたある日のこと、保育所、小中高と共に過ごした友人がこんなことを言った。「お前はいいよな、大学に進学しても、いずれは地元に帰って仕事ができるんやから」友人のその言葉は、とてもショックだった。そして、友人は地元を離れ就職していった。その時、「俺が店を大きくして、地元の雇用の受け皿となるような会社にするからな」という志が立った瞬間でもあった。目標ができると違うもので、さまざまな局面でその志があるから、様々なことにチャレンジできた大学生活であった。

目標がある志があるというのはいい。人生を豊かにする。小、中、高と進学を重ねるたびに内向的でみんなの前で自分の意見を言えない自分が嫌だった。いつも、昨日までの自分を変えたいと願う私に「龍馬」との出会いはたくさんの出会いや学びを私に与えてくれた。今は昨日までの自分を変えたいという思いはない、自分を認めれる自分がいる。「自分らしく、あるがまま、ありのまま」というのが今の私の人生のテーマである。そう、「坂本龍馬」のように。私は「坂本龍馬」をそのように解釈している。「やればできる、やらにゃできんぜよ」、挑戦すると失敗する、失敗から学び次にいかす。みなさん、ご存知の「みっちゃん大福」の数年前も実は「三崎だんご」という商品開発に取り組んでいる。このチャレンジがあったからこその「みっちゃん大福」でもある。生徒、先生、保護者のがんばりあっての「みっちゃん大福」だが私自身もこの数年で成長していた。「みっちゃん大福」の取り組みを少しだけ話すと、9名の生徒のみんなには進学、就職を控えているので、総合の時間だけで目標を達成する。着地点を明確にし、逆算したスケジュール管理、5W2HやPDCAサイクルをまわす話をした。行動や計画が時を重ねてぶれないように、毎週、進捗管理をし、時には何のためにそれをするのと問いかけ続けた。長くなるので詳細はまたの機会に。物は作れば売れるものではない、商品に物語という付加価値をつけたり、販売方法、金額設定など売れるための条件は様々ある。そして売れなければ商品はなくなっていく。商品開発後も継続して販売できるようにという生徒の希望にそって私もマイナーチェンジを繰り返したり、売り場を変えたりと進化させている。実は、私自身も地域を元気にするためには、業を起こせる人材を増やすという目的をもっており、当時の学校の方針の「ブーメラン人材を増やす」という思いに共感し、いずれ、そんな人材がこの中から現れることを期待し、一緒に活動していたのである。だから、活動で得た売り上げの中から「みっちゃん大福基金」として少額ではあるが寄付を続けている。自分たちががんばった成果の対価が、次の取り組みや次世代に続くと知ってほしかったからだ。一部は「みっちゃんピザ窯」となったが、みなさんが何かをする時に使っていただければ嬉しい。三崎おこしをして何になるんと思う人もいるかもしれない、三崎おこしはあくまで、方法論であるし、解釈を変えて、それに取り組むことで、問題解決能力が身につくとか、プレゼンがうまくなるとか、自分の取り組む意味を自ら作り、自分事としてとらえ、モチベーションを高めていくことも大切であると私は思う。社会に出れば与えられた条件の中で成果をあげねばならない時もあるからだ。今を一生懸命生きることで次に繋がっていくと私は思う。

そして、私は今も、さまざま挑戦している、自分のふるさとを良くしたい、夢ある町にしたい、三崎高校での3年間があって今がある。私にとって三崎高校の3年間は今に続く、大切な時間であり志の種をまく大切な時だったと今やっとわかる。これからも目の前の今を一生懸命生き、小さな挑戦を積み重ねていきたい!


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【経営理念】

【 お菓子を通じて笑顔づくり、地域づくり、絆づくり 】

株式会社うにまんじゅうの田村菓子舗
代表取締役 三代目 田村義孝

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